まよいのもり

私は小さい。だから私でいられる。

やりたいことを仕事にしたくないなら

社会の全員が、自分のやりたいようにできる人生を送っているわけではない。

やりたいことが見つからない若者。

上司と部下の間で板挟みになっている管理職。

自分のやりたいことをやりたいようにやるには、どのように準備すればよいのか。

ましてや、自分のやりたいことが、誰かを助けるわけでもない、仕事にならないようなことだったら。

自分のやりたいように働くには、多くの技術と経験が必要そうである。

ここまではわかる。

だが、いったいどうすればよいのか。

自分のやりたいことを仕事にしたい場合

自分のやりたいことが、たとえば誰かの役に立ち、誰かを救うことであるなら、

やりたいことに取り組む人生が送れる。

その事業を展開している職場を選べばよいし、

そんな職場に出合えなければ、自分で起業したってよい。

職場内であっても、自分のやりたいことを企画提案し、承認されれば仕事にできる。

そんな誰かのためになることが自分のやりたいことであるなら、少なくとも私は尊敬する。

自分のやりたいことを仕事にしたくない場合

ここで考えたいのが、自分のやりたいことが、誰かの役には立てないことである場合だ。

大きく見れば、自分がやりたいと思うのだから、きっと世界中のどこかに暮らす誰かも、同じことを楽しいと思っているかもしれない。

そんな人と出会うことは今や難しくない。

だから、誰の役にも立たないと思うことを、楽しいと思う同志を見つけること、

まずこれが出発点になると思う。

もし世界の同時代の誰も楽しいと思わないことを自分だけが楽しいと思っているなら、そんなことを見つけている人生はさぞ楽しいだろう。

その楽しみを自分だけで囲い込むことさえ考えるだろう。

けれども、自分のやりたいことで働こうと考えずに、楽しみを自分だけで囲い込む人生で良いのだろうか。

誰かと何かで世の役に立つまで考え抜く、そういう人生も良いではないか。

自分のやりたくないことを仕事にしている場合

自分には楽しみがない。そう思っている人もいそうだ。

収入や肩書や栄誉や評判に働き甲斐を見出しているような場合である。

きっとその人には人生の楽しみ方があって、それに沿うような人生を設計しているだろう。

自分のやりたいことがなくても、人生は楽しく生きられる。

そんな社会で心底良かったと思う。

まとめ

自分のやりたいことを実現すること自体は、PCや周辺機器を使えば難しくない。

でも、自分のやりたいことで働くには、またいろんな技術がいるので、場合分けして考えてみた。

自分と似た人生の楽しみ方を持つ人は、この世界にわりと多くいる気がする。

そんな人たちとつながってみたら、ひょっとすると仕事が生まれるかもしれない。

新しいジャンルができ、流行し、産業になるかもしれない。

そんな人生も悪くないはずだと思う。

年末にお金の掛けどころを考える

今年も年の瀬を迎える。今年はゆとりのある1年だった。

断っておくけれど、私は年収が平均的な職場に勤めており、特別に裕福な家庭で暮らしてはいないと思う。

買い物は下手ではないと思うが、ほしいものが偏っているとは思う。

趣味である本と服とPC、そのほかは生活費。それで満足していて、ほかにほしいものはあまりない。

今年もお金を何に使ったか棚卸したところ、

収入の半分は、募金献金 (注1) 、プレゼント、投資信託 (注2) に使い、生活費と趣味費は収入の半分で済んでいた。

経験や時間を買おう

納豆がスーパーで128円で売っていたら買わないけど、

ワイヤレスイヤホンが2,500円で売っていたら目に入る。

納豆の予想価格は68円、ワイヤレスイヤホンは8,900円と思っているので、

60円の差額で買わないことが不思議になった。

買うなら長い間楽しみたい。だから、経験や時間を買おうと考えるようになった。

おいしい納豆 (注3) も買うようになったし、安物の大きい買い物はしなくなった。

お金の掛けどころをあらかじめ考えておこう

お金の掛けどころをあらかじめ考えておかないと、買い物で失敗しやすい私。

2年前に奥歯の移植手術を経験して以来、歯には懲りて、歯間ブラシや洗口液は常に使うようになった。

シャンプーも、CMで有名なシリコン系の商品 (注4) をやめて、少しいいものに切り替えつつある。

サプリでGABA (注5) 亜鉛 (注6) をたまに飲んでおり、睡眠や回復が仕事とうまくバランスできている。

健康にはお金を掛ける。大学院で勉強した生命科学の知識を駆使して、良いと思うものを使う。

良かったら友人知人に紹介する。こんなことも始めた1年だった。

できることが増えるものを買おう

「知識が最高の投資である」とはベンジャミンフランクリンの言。

私は安いからという理由ではあまり買わない。

ずっと安くなるのを待つことはあっても、安いから買っておこうとは思わない。

今年は、使わないものをいくつか買ってしまった。

でも、それらはずっと使わないのではなく、これから活用していけるものだ。

できることが増えるもの。私が買う基準はこれである。

健康であればもっと働ける。動画カメラがあれば趣味が広がる。

そんなことを学んだ1年だった。

(注1) ワールド・ビジョンで、バングラデシュの男子が住む村に毎月募金して6年になる。

(注2) 米国インデックスファンド。数万円、利確できた。

(注3) くめ納豆98円。

(注4) これだけ質の高い配合のシャンプーを安く使える時代は恵まれているとしばしば思う。

(注5) 週末に1カプセル飲んでいる。かなり眠くなり、翌朝遅く起きてしまう。

(注6) DNAの転写が増えるので、特に皮膚を怪我したときには飲んでいる。

歳の離れた友人を持つ恵み

私には、友人と思っている人が両手で数えきれないほどいる。
職場、市民団体、教会など、さまざまな縁で知り合えた方々。
そして、共通する特徴がある。みな私より年上であるのだ。

私はこの秋で35歳になった。
友人は、40代から90代まで、さまざま。
時代の変化が激しいこの世。10歳違えば違う時代の人物と思える。

歴史上の人物に尊敬の念を向けることはある。
でも、この街この時代にも、異なる時代を生きた人物がいる。
終戦時の青年、昭和の技術者、氷河期の就職。
世代が人格のすべてではないけれど、
その時代をどう楽しみ苦しみ今をも生きているか、話ができる幸い。

初めのうちは、友人の生き方に学ぼうと考えていた。
育った環境は違えど、それなりの苦労を重ねた後の忠告。
しかし、おそらく時代が違いすぎた。
今後の時代を生きる人物として、逆に私が友人に注目されることが増えた。

私は進んで技術や科学の話をするようになり、
感謝して聴いてくれる友人たちと長く縁が続いている。
益々技術や科学の見識を磨こうと、
技術書や学術雑誌を書斎に並べている。

もし私が、地元の友人と連絡を続けていたら、
同年代の話だけで終わるだろう。
でも、生きた時代を異にする人物と巡り合えたことで、
私の人間観は、変化した。

なにより、歳の離れた友人を持つと、人間に絶望しなくなると思うのだ。

柔らかいものの見方と、穏やかな気持ちの持続が、なによりも重要。

気晴らしって大事だ。そう思うようになった。
いつも課題を乗り越えることばかり考えて、周りのことが疎かになっていた。
なるべく献立を考えなくていいように、同じものばかり飲み食いしてきた。

確かに仕事はできるようになった。
仕事上のつながりが広がり、休日も暇が無くなった。
仕事で培った技術が、生きがいになっている。

だけど、

これっていわゆる仕事人間になってきてるのでは?

と気づいた。

暮らし。
ひとつのことに限定すればシンプルでクリアな気持ちの良い生活になる。
それでよいのかもしれない。
でも、もう少し丁寧に暮らせるかもしれない。
もう少しだけ。これを積み重ねる。

仕事上の課題をこなすだけの人生も、勉強し続ける人生も、立派だ。
私はもう、そうはなれない。
いや、そんな人生から少しずつ卒業して、
柔らかいものの見方や、穏やかな気持ちの持続が、
一番重要な価値になった自分を認めたい。

私は活動も変革も名声も望まない。
この選択をできるだけ左右されないように考えて行動する。
この基準に適わないことはすべて断る。

成し遂げたいことがある人は達成すればいい、
有名になりたいなら自分を売ればいい。
でも、私はそのような生き方を選ばない。

どんなに有能に評価されても、
人生が変わるような好機にあっても、
それ以上に大事にしたいことを優先させて生きたい。